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むつみボランティアの会 



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◎No.224サロン KさんとSさんが体験発表 [2021年11月24日]





★2021.11.20(土)午後、第224回ふれあいサロン睦が会員のみの出席で開催。今回は、K会員が「私のボランティア活動」を、S会員が「私が今、ここに居れる理由」をパワーポイントで画像を見せながら説明してくださいました。Kさんは、袋田の滝で有名な茨城県大子町に誕生。地元の高校を卒業後東京の会社に勤務。昭和41年にご結婚し3児に恵まれる。上目黒―上石神井―牛久市みどり野を経てむつみ区に終の棲家を構え、子どもたちも成人。ご主人を早くに亡くされ17回忌を済ませられたとか。ご主人の実家が福岡県飯塚市で、初孫が可愛いいと引き止められ半年も長居したことが良い思い出。飯塚市には、芝居小屋が50もあったが、今ではただ一つ「嘉穂劇場」が地元の熱意で保存されている。梅沢富美男も公演したとか。

★阪神淡路大震災の前年1994(平成6)年10月15日、隣保型のボランティアを目指し設立されたむつみボランティアの会の設立メンバーの一員として今日まで活動されてきました。むつみボランティアの会はもとより、ゆめまちネットの行事にも積極的に参加。むつみ行政区では、ふれあい民踊同好会に参加し、施設訪問で民踊を披露する等、活躍してきました。毎朝のように、ひたち野牛久駅近辺まで散歩して体力づくりに励んでいます。ボランティア仲間の大先輩も鬼籍に入り大変ですが、女性陣のまとめ役として、これからもよろしくお願いいたします。

★S会員は、旧樺太県(現ロシアサハリン)豊原市(現ユージノサハリンスク)に誕生。1945(昭和20)年ソ連が日ソ不可侵条約を破り樺太に侵攻する事態となり、父が通信関係の仕事についていた関係で侵攻直前に内地へ引き揚げることになりました。豊原から貨車で大泊へ移動、大泊で乗船予定の小笠原丸を待つ間、母上が港に船を見に行って軍艦から乗船希望の声掛けがあったので、荷物は小笠原丸に残したまま、着の身着のまま手荷物だけで軍艦に乗り込んだ。父から「どの船でも乗れる船があったら、一刻も早く樺太を離れるように」と言われていたのだ。その後に出航した小笠原丸と他の2艘は、留萌沖で沈没の憂き目にあい、知人も海の藻屑となった。「母の機転のおかげで私は今生きていられる」と述懐。

★1946(昭和21)年、父親が命からがら樺太から引き揚げてきて復職。苫小牧引揚者住宅に住まい、弟2人も誕生、後に自宅を持った。当時の親は、皆さん苦労したようだが、以降はあまり苦労した覚えはない。高校卒業後、富良野で食事付きの気ままな社会人生活を送っていたが、周囲がいい年の娘を心配し、大阪在住の主人と5月に見合い。10月に主人の地元夕張郡栗山町で結婚式、8月まで勤めていたがご主人の任地大阪へ。酒も飲めない父上は、駅に見送りにも来てくれず、一人バカくさいと泣いていたとのこと。その後、二人の子どもに恵まれたが、息子は38歳で逝去。1年後、ご主人も逝去。悲しみはいかばかりであったか。温厚な人柄のご主人には、筆者宅の庭木の剪定等もよくやっていただきました。

★むつみボランティアの会では、歌声喫茶サロンで歌声終了後の茶話会で参加者に湯茶の接待や笑顔での話しかけが印象的です。むつみ区では、シニアクラブ・クロッケー、ランチカラオケ、フラダンスにも積極的に参加しています。また、ご近所の奥様方と何回か国内旅行や海外旅行にも出かけ、楽しく過ごしてきました。持ち前の明るさで、これからも元気に過ごして参りましょう。



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