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◎5月ふれあいサロン睦・無料映画上映会『赤い襷』を鑑賞 [2019年 5月19日]




★令和元年5月のむつみボランティアの会ふれあいサロン睦はスカードシネマクラブの無料上映会『赤い襷』を鑑賞しました。第1回目上映会に7組18名が、第2回目上映会に5組11人、合計12組29名が申し込み、希望通り鑑賞することができました。本年2月の無料映画上映会『赤い襷』では、255名が鑑賞しましたが、約200名の方々が入場できなかったことから、再度の企画になったとのことです。全体の入場者は1回目が191名、2回目が170名、合計361名、2月の255名を加えると3回の上映で616名の方が鑑賞したことになります。

★今回も第1回目上映会終了時と第2回上映会終了時に、『赤い襷』の総合プロデューサー家喜正男さんによる「トークショウ」が行われました。(株)・エイチツーの飯野さんとともにナレーター・俳優の波連(はれ)ゆかりさんが参加し、彼女の司会により、「トークショウ」が進められました。波連(はれ)ゆかりさんは映画『赤い襷』にも出演すると同時にナレーターも務めているとのことでした。大勢の参加者の質問に家喜正男さんが映画製作のエピソード、舞台裏の苦労話、さらには時代背景、富岡製糸場のその後等私たちが知らない、また、知らされていないことも話してくれました。日本の近代化は明治政府によって進められたということですが、幕末の開国後、江戸幕府がフランスとの間で横須賀造船所の建設をはじめたこと、その縁で富岡製糸場の建設に至っていること、経営不振から民間に払い下げられ、工女のその後の待遇の劣悪化等、負の側面があることもわかってきました。

★幕末の1865年(慶応元年)、江戸幕府の勘定奉行小栗忠順の進言により、フランスの技師レオンス・ヴェルニーを招き、横須賀製鉄所として開設される。その後造船所とするため施設拡張に着手したが幕府が瓦解。明治新政府は参与兼外国事務掛小松帯刀の尽力により1868年9月にオリエンタル・バンクから貸付を受け、ソシエテ・ジェネラルに対する旧幕府の債務を返済し、横須賀製鉄所を接収。これを1871年に完成させた。当初アメリカに造船所建設の協力要請をしたが、当時のアメリカは国内で南北戦争が起きていたため、協力を拒まれました。イギリス、ロシア、オランダも、それぞれ国の事情があったため、技術協力を受ける国を探すのが難航。フランスは国内で製糸業を支えていた「カイコ」が伝染病にかかり、産業が壊滅状態となり、生糸の輸入と伝染病に強い「カイコ」を海外に求めていました。そのため、駐日フランス公使ロッシュが積極的に幕府へ接近を図ってきました。造船所の設置場所として横須賀が選ばれ、明治維新を挟んで建設が進められることになったが、当時の建設されたドッグ2基が船は建造していないが、現役として在日米海軍横須賀基地内役立っているという。(出所:横須賀市ホームページ)

★江戸時代の1854、55年頃に蚕の疫病が蔓延してしまい、イタリアでも同様な状況だったため、1854年に開国したばかりの日本から蚕種紙(蚕の卵が産み付けられた紙)を輸入した。中国からも生糸を輸入したが、中国では太平天国の乱(1851〜64年)が起こっていたため、貿易においては日本が有利だった。日本の蚕の卵は病気に強かったため、原料不足が緩和され、日本の蚕はフランスやイタリアの養蚕業や絹織物業を復興させた。明治政府は、品質の良い糸を作るため、1870(明治3)年に横浜に来日していたフランス人生糸検査技師ポール・ブリューナに製糸工場建設を依頼した。1872(明治5)年に富岡製糸場が完成し、ブリューナは製糸場首長として、日本の工女たちの指導に当たり、日本の製糸業を発展させた。(出所:ベルばらkidsぷらざ)
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