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ゆめまちバス研修『江戸歴史ツアー』に39名参加 [2019年12月 4日]
★2019.12.3(火)午前8時30分、牛久運動公園駐車場を出発した牛久市のバスはゆめまちネット「江戸歴史ツアー」39名の参加者を乗せ最初の研修先「中川舟番所資料館」へ向かいました。
 牛久には、江戸時代に開設された「小野川水運」が発達しました。牛久の小野川から、薪炭や年貢米を江戸に送るための重要な輸送の水運で、牛久から送り出された荷物は「中川舟番所」で検問を受け隅田川の河岸に送られました。3階展示室では、「中川番所」の再現ジオラマを中心に、出土遺物や番所に関する資料を展示しています。「江戸をめぐる水運」河川水運について、海辺大工町や川さらいに関する資料を紹介しています。小野川と聞くだけで親近感を抱きました。

★2番目は、当時の佐賀町の街並みが再現された「深川江戸資料館」へ。地下1階から地上2階・3層にわたる高い吹き抜け大空間に、約170年ほど前の江戸深川の町並みを再現している。各家の中には生活道具類が配置され、実際に家に上がりこみ、それらの道具類に触れることもできました。また、人々の1日の暮らしを音響効果(物売りの声、火の用心、屋根の猫の鳴き声など)と照明効果によって、15分間(30分おき)で演出していました。

★昼食は、清澄庭園近くの深川めし・「釜匠」へ。食べきれないほどのあさり飯でした。

★お腹がいっぱいになった後、「清澄庭園」へグループ毎に散歩に出かけました。「清澄庭園」は、東京都江東区清澄にある都立庭園。池の周囲に築山や名石を配置した回遊式林泉庭園で、東京都指定名勝に指定されている。この地には元禄期の豪商・紀伊國屋文左衛門の屋敷があったと伝えられ、享保年間には下総関宿藩主・久世氏の下屋敷となり、ある程度の庭園が築かれたと推定されている。
荒廃していた邸地を三菱財閥創業者の岩崎弥太郎が買い取り、庭園の造成に着手。2代目の岩崎弥之助は庭園の泉水に隅田川の水を引き込むなど大きく手を加え、1891年(明治24年)に回遊式築山林泉庭園としての完成を見た、という。
関東大震災当時の深川区では火災の被害が大きかったものの、4千本の広葉樹、針葉樹に囲まれていたこともあって、図らずも近隣住民の避難場所となり2万人の人命が救われた(殆ど焼失した深川地域では数少ない格好の避難場所であった)。ちなみに、北から2kmあった本所区(現墨田区)の陸軍被服廠跡(現横網町公園)では、避難した4万人のうち3万8千人が火災旋風に襲われ落命した、という。関東大震災の罹災者を斎祀った「震災記念堂」と関東大震災の記念物・展示品等を陳列した「復興記念館」が駐車場の関係で見学できなかったことは、残念でした。

★最後の見学先、松戸・「戸定歴史館」を訪問。水戸藩最後の藩主・徳川昭武が建てた戸定邸の敷地の内、約三分の一は戸定が丘歴史公園として整備公開されています。
 公園内には徳川昭武と彼の兄15代将軍徳川慶喜の資料を展示する戸定歴史館、徳川昭武が住んでいた戸定邸(国指定重要文化財)と庭園(国指定名勝)、昭和53年に松戸市が市制施行35周年を記念して建設したお茶室の松雲亭があります。今回下記の企画展に出会えたことは、幸運でした。
企画展 1867年万博使節団の明治 〜サムライたちの選択 (12月22日(日曜)まで展示)
1867年、将軍名代として渡欧した徳川昭武の傅育役を務めた山高信離、渋沢栄一ほか、使節団員は渡欧中に明治維新の政変に遭遇、幕府の後ろ盾を失った明治時代をどう生きたのかについてひもとく資料が紹介されており興味深かった。

★12月エスカード上映会『永い言い訳』 12月26日(木)午後2:00上映開始、13:30開場。

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