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エスカードシネマ無料映画上映会『赤い襷』を再上映 [2019年 5月21日]
★令和元年初のエスカードシネマクラブ上映会は、5月18日(土)、午後12:30からと16:00からの2回、入れ替え制で開催されました。本年2月に無料映画上映会『赤い襷』を開催した所、約200名もの方々が入場できずお帰りいただいたことから、是非にという希望を実現したものです。
入場者は1回目が191名、2回目が170名、合計361名、2月の255名を加えると3回の上映で616名の方にご覧いただいたことになります。

★今回も第1回目上映会終了時と第2回上映会終了時に、2月に引き続き『赤い襷』の総合プロデューサー家喜正男さんによる3回目の「トークショウ」が行われました。毎回の上映会では、映画選定や供給でお世話になっている(株)・エイチツーの飯野さんとともにナレーター・俳優の波連(はれ)ゆかりさんが駆け付けトークショウの司会をしてくれました。大勢の参加者の質問に家喜正男さんが映画製作のエピソード、舞台裏の苦労話、さらには時代背景、富岡製糸場のその後等私たちが知らない、また、知らされていないことも話してくれました。家喜正男さんのお話をヒントに調べていくと、近代化は明治政府が独り占めしているが、江戸幕府がフランスとの間で横須賀造船所の建設をはじめたこと、その縁で富岡製糸場の建設に至っていること、経営不振から民間に払い下げられ、工女のその後の待遇の劣悪化等、負の側面があることもわかってきました。

★幕末、幕府は欧米の5か国と通商条約を締結しており、幕府の勘定奉行などを歴任した小栗上野介忠順らは当初アメリカに造船所建設の協力要請をしました。しかし、当時のアメリカは国内で南北戦争が起きていたため、協力を拒まれました。イギリス、ロシア、オランダも、それぞれ国の事情があったため、技術協力を受ける国を探すのが難航。フランスは国内で製糸業を支えていた「カイコ」が伝染病にかかり、産業が壊滅状態となり、生糸の輸入と伝染病に強い「カイコ」を海外に求めていました。そのため、駐日フランス公使ロッシュが積極的に幕府へ接近を図ってきました。その時、幕府とフランスとの仲立ちをしたのが、栗本鋤雲とフランス人のカションという人物でした。この小栗、ロッシュ、栗本、カションの4人で面談が行われ、その後1か月もたたないうちに、造船所の設置場所として横須賀が選ばれ、明治維新を挟んで建設が進められることになったのです。当時のドッグ2基が在日米海軍横須賀基地内で現役として活躍。(出所:横須賀市ホームページ)

★江戸時代の1854、55年頃に蚕の疫病が蔓延してしまい、イタリアでも同様な状況だったため、1854年に開国したばかりの日本から蚕種紙(蚕の卵が産み付けられた紙)を輸入した。中国からも生糸を輸入したが、中国では太平天国の乱(1851〜64年)が起こっていたため、貿易においては日本が有利だった。日本の蚕の卵は病気に強かったため、原料不足が緩和され、日本の蚕はフランスやイタリアの養蚕業や絹織物業を復興させた。明治政府は、品質の良い糸を作るため、1870(明治3)年に横浜に来日していたフランス人生糸検査技師ポール・ブリューナに製糸工場建設を依頼した。依頼を受けたブリューナは、群馬県富岡に建設を決め、その設計をやはり横浜にいたフランス人の建築技師E・Aバスチャンに依頼。1872(明治5)年に完成富岡製糸場が完成し、ブリューナは製糸場首長として、日本の工女たちの指導に当たり、日本の製糸業を発展させた。(出所:ベルばらkidsぷらざ)

★5月上映会『戦国自衛隊』 5月23日(木)午後2:00上映開始、13:30開場。

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