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むつみボランティアの会 



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◎“ふれあいサロン睦”会員自己紹介 [2020年10月25日]




『私が初めて女性を知った時』
★コロナウイルスのため、ふれあいサロン睦は多人数の方に参加いただくことができないので、会員による自己の人生体験や活動紹介を順番にしてもらい、相互理解を深める企画を実施しています。今回は、会員以外に区民のOさんが参加を希望され、Y会員の講和を参加者で聞きました。
Y会員は、戦前の昭和16年東京北区上十条生まれ、お爺さんが酒屋を営業、免許制度だったので競争相手無し、4男4女の長男として誕生。戦時中、お父さんは衛生兵だったということで、外地にはいっていませんでした。空襲を一度経験。(編集部注:当初、北区域は空爆の対象にならなかった。しかし、昭和19(1944)年12月に、はじめて空襲を受け、以降計12回にわたり被害を生じ、500人を超える死者を出した。)
小学校2年生の遠足は、赤羽まで省線(編集者注:当時は鉄道省の電車ということで省線と呼ばれた)で行き、荒川で記念写真を撮った。後日見た写真には若い女性が写っていた。「なんで?」といぶかしく思ったYさん。同級生の若い母親が写っていた。4歳になる前に母を亡くし、若い女性と接する機会がなく、この時が「私が初めて女性を知った時」となる。思わせぶりだが、話を伺うとなんともしんみりしてしまう演題であります。

★ある時、我が家で座敷を片付けて人が集まる時があった。その時、父が後妻さんを迎えたのを初めて知った。やがて3人の弟たちが生まれた。酒屋であったがお米も扱っていたので、米屋となりました。弟を帯で背負って遊ばせていた。やがて、異母兄弟との差別が出てきた。どう生きるか、を考えた結果、高校3年から受験勉強し大学へ進学。授業料だけ父親が出してくれたが、6月にアルバイト代が初めて入り昼食が食べられるようになった。アルバイト先は運搬の会社で、自転車にお中元やお歳暮などの荷物を載せて配達するかたわら中学生に英語と数学を教える塾の先生のアルバイトをして生活費を稼いだ。S39年社会人になったが、オリンピックで好景気に沸いていた。その後、セールスで成績を上げ、成績優秀者の一員としてアメリカへの招待旅行に参加。中でも、広大な森の中に建物が点在しているボストンのハーバード大学見学が印象深い。

★中学の同級生である友人が20歳前に電気工事で感電死しました。新婚でした。そのお母さんが、新宿末広亭の寄席で下足番をしていた関係で、寄席通い。結婚後、日本住宅公団団地に入居、水洗便所と風呂にはいれるようになり本当に嬉しかったです。牛久に引っ越してからは、駅まではバスで通勤。西口だけだったので、通勤客の送迎でごった返し、バスが駅前広場に入れなかった。牛久も住めば都、少しでも住みよいまちにしようと頑張って来ました。むつみ自治会の会長もさせてもらった。来年は傘寿、いつまで生きられるか分からないが、健康に留意してボランティア、長寿会、男の料理等地域の皆さんと仲良く生活していきたい。

★Yさんは、ボランティアの会のメンバーでは、研究熱心なインテリタイプと思っていたが、幼少時のご苦労やアルバイトで生活費を稼ぎ大学を卒業したという頑張り屋さん。お話を伺うまでYさんの人となりは表面的なことしか分からなかったが、戦争未亡人の倅の小生としては、お互いの距離が縮まった感じがしました。来月はAさんの講話、楽しみです。
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